ディナー #1
今日会社で凄く嫌なことがあった。
なぜ私はこんなことで責められないといけないのか、
なぜ三連休明けの火曜日に朝から泣かないといけないのか、
なぜ気分転換で行った早めの休憩室にその当事者がいて、気を使って話してくるのを気を使って返事をしないといけないのか。
「そんなこと知らんがな!」
と机にノートを叩きつけてその場を去りたかったけど、
大人にも子供にもなりきれない私は、
「そうですね〜。すみません」と苦笑いで返すことしかできず、1時間休憩の半分だけ消費してすぐデスクに逃げた。
あっちも私が逃げたのは分かるだろう。
「せっかく話しかけたのに」
「気を使ったのに」
「悪いのは理解が遅いあなたの方でしょう」
言われてもないのに、相手がそう思っている気がしてたまらなかった。
でも、私の趣味の話を振ってくれても、今どんな業務をしてるのか聞いてくれても、何だかもう嫌で嫌で、苦痛で苦痛で仕方なかった。
思わず父に話したら、
「いつかこの経験をしたことを役立てないとね。でも逃げて良かったと思うよ」
と言った。
転職を2年で4回もする浮世離れした友達に話したら、
「気を使って話しかけてくれてる、なんて言わなくていいよ。迷惑に話しかけられたでいいよ」
と言った。
なんだか胸の奥が少しスッとした。
結局、私は解決法なんて求めてなくて、共感が欲しかっただけなのか。
女性は解決法よりも共感を求めると言うけれど、私もそういう意味では立派な女だったということだろうか。
まあ、仕事の方は早く全部理解して独り立ちするのが一番かな、とも思っている。
別の友人から連絡がきた。
「仕事がつらい。話を聞いてほしい」
この言葉を知ってると思った。
数ヶ月前の私が友人に送った連絡そのままだった。
「大丈夫?話聞くからご飯行こう!」
もう返事はこれだけでいい。
あとは、美味しいちょっと高いご飯を食べて、2軒目でこれまた行ったことのない場所でお酒を飲んで、馬鹿みたいに終電で帰ればいい。
それだけでちょっと救われる。
私は知ってる。
そうやって助けてもらった。
恩師の葬式の幹事をして帰ってきた疲れきった父の慰め方はまだ分からないけど、これなら私にもできる。してあげられる。
もちろん、全員がそれで救われるわけではないけれど、私みたいな人間と仲良くしてる人間はきっとちょっとは救われるに違いない。
きっとちょっとは力になれる。
こうやって、色々な感情や、出来事が、人が回転草みたいにもつれもつれ流されて、私は明日も生きていくのだろう。
0コメント